下肢動脈閉塞症が劇的に改善した実証事例とは

この実証事例は「ヒュウガトウキすべて」という本に載っていたものです。

その本によると、疼痛のひどい下肢動脈閉塞症が劇的に改善したそうです。

実証事例の人は36歳のとき子宮がんで手術・コバルト治療、58歳当時から糖尿病治療。61歳のときは脳血栓のため入院ー全身の動脈硬化が明白な68歳女性の実証事例です。

 

病院へ来診されたときは、両下肢がひどく痛み、足先が紫色に変色。

出典:JOHNSON&JOHNSON k.k.

そんなひどい状態の患者さんが、1週間もしないうちから疼痛が大幅に軽減して、血流状態も改善。2,3百メートル歩くのがやっとだったのにもうかなりの距離歩いても何ともない状態までなったそうです。驚きというしかありません。

 

糖尿病性の下肢動脈閉塞症の実証事例

上の「ヒュウガトウキすべて」という本に載っていたものを、そのまま案内します。

治療法はプロスタグランディンの点滴と並行してヒュウガトウキを飲用しただけです。

68歳の女性です。既往歴に、36歳のとき子宮ガンで手術を受けて、その後コバルト治療を受けています。また、10年ほど前の58歳当時から糖尿病のために近くの医院で治療を受けており、その間、61歳のときには脳血栓のために入院しています。すなわち、全身の動脈硬化は明白です。

平成4年4月上旬、O・Sさんは歩くときに両下肢がひどく痛み、足先が紫色に変色すると訴えて私の病院へ来診しました。一見して、糖尿病性の下肢動脈閉塞症の状態でした。入院の上で精密検査と治療を受けることを勧め、受信の2週間後の4月下旬に入院しました。

病院では、ちょうど血管造影のX線撮影装置を更新中だったため、精密検査の前にまずプロスタグランディンの点滴を2週間続けることとし、並行してヒュウガトウキの飲用も開始しましたが、これによって1週間もしないうちから、下肢の疼痛が大幅に軽減、血流状態も改善するという効果が現われたのです。本人の話では、「2,3百メートルも歩くと両足が痛くて歩けなくなっていたのに、もうかなりの距離散歩しても何ともないんです。和式のトイレにしゃがむのも痛くて大変でしたが、もう何ともありません」ということです。

病院では待望の管造影装置が作動しはじめたので、早速、6月1日に下肢動脈造影を行って、左大腿部の動脈閉塞が確認されました。その状態を145ページの写真に示しますが、両下肢大腿部の動脈のうち、左が細くなっているのがわかるでしょう。

この結果を参考に、本人には血管増設かバイパス術を勧めましたが、過去に婦人科疾患で一度手術を受けたので再度の手術は嫌だと拒否されました。こうなっては仕方がありません。放射線科の医師とも相談し、閉塞した左下肢の動脈にウロキナーゼ製剤を注入して、血管の再開通を試みることにしたのです。

ただし、この方法は成功する確立がきわめて低く、不成功のときは外科的措置もやむなしという覚悟を決めて、6月8日に再度、左下肢の動脈造影と、狭小化した動脈へのウロキナーゼ注入を行ったのです。

結果は、みごと成功でした。左ページの写真に示したように、左大腿動脈の血流再開ができたのです。術者の放射線科医も、喜ぶとともに驚いて、「これは割りと珍しいことなんですよ。術前にどんな治療をされたんですか?」と、尋ねにきたほどでした。そして患者さんに対しては、放射線科医は「でも、数ヶ月したらまた血管が詰って狭小化するのは避けられません。そうしたら、やっぱりまた手術が必要になります」と告げていました。

ところがー。結局O・Sさんは、ヒュウガトウキを飲用しながら糖尿病の治療を続行し、放射線科医の予言に反して、左大腿部の血流開通の状態を2年間も続けたのです。やはり相当に進んでしまった動脈硬化でしたから、2年あまりで手術的処置を取らざるを得なくはなりましたが、それまでの2年間は下肢の疼痛もさほどはひどくはならず、血流障害によって下肢が変色するようなこともなかったのです。もちろん下肢切断には至りませんでした。

O・Sさんの場合、動脈硬化状態がかなり進展した状態でヒュウガトウキを飲用したのですが、これがもう少し早い時期からはじめていたら、血管合併症の進行を抑えることができた可能性は大きかったと思います。

 

ウロキナーゼ製剤とは

ウロキナーゼ製剤とは、血液凝固阻止作用を有する薬剤で、特に高齢者には慎重投与が必要とされている薬剤です。

この病院では、成功する確立が少ないと判断されました。

でも、注入したら血管の再開通がみごとに成功したのです。

放射線科医の経験を裏切るほどの回復をみせて、2年間も血流開通の状態を続けられたとのことです。